疲れた足に最古、最大級
上 ホームの段差はどのような理由でJRが上、京阪が下になったのだろう
中 絶対ならぬ「絶体」告知はお知らせ以上の警告
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街を観察しようとする僕の気分はこのホームから意識してきた。たぶんそれは、疲れてくると一度笑うと笑いが止まらなくなる若い時代のクセがこんな形でよみがえったのかも知れない。
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そんないやな気分も沿線の京都競馬のにぎわいで現実に引き寄せられた。途中駅では乗り換えた列車が入線時に真ん中のドアが閉まったままだったのに気づいた。「ラッシュアワーの時だけ開きます」と書いてあるそのドアの前の車内の椅子にはおしゃべり好きな「大阪のおばちゃん」がいたからたまらない。
解放された気分から僕はつれあいにいつからくるぶしがいたくなったのかを訊いた。つれあいは歩き始めてからというので何で?ともう一度訊くと、以前、十歳以上年が離れていた女友達との会話で60才を前にその友達がくるぶしが痛くなったという話をした。悲しい話だ。そういう僕も体重がなかなか減らない。どうしたものか。
下車して東福寺まで350㍍、という案内板を見てがっかりした。ようやく北門に着いたら月極駐車場だから自転車、バイクを止めてくれるな!という古くなった表札が立っていた。止めてくれるな!というのは間違っているよ!と赤くバッテンされた「(絶体)」が念押しされて可哀そう。担当のお坊さんも上からなんとかせぃ!とお叱りをうけ腹を据えてかかったのだろう、けれど。
中門から伏見街道方面に出る。東福寺も大伽藍の最古、最大をうたっているが、外の世界にお金をかけることまで回らないようだった。参道の脇に立つ外塀の崩れた土壁に落書きが。これぞ昭和の落書き、文化財にしてほしいぐらいのたわいもない日常が公開されていたのだ。
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