2012年3月6日火曜日

見せしめのシルクロード


1210日 メシェッド - アフガニスタン国境


(記憶遥か)

 宿のオヤジが外からいきなり部屋のドアを蹴りあげた。観音開きのドアはふるえ、抑えの軽量バックが吹っ飛んだ。部屋にいた僕ら日本人以上に新参の一人のヨーロッパ系のツーリストが震え上がった。

  旅行者風を装ったその若い外人を二段ベットに座りながら、あるいはうつぶせになりながら戦々恐々とみつめる僕ら日本人の素人の目を彼は意識していた。さも、中毒患者であることを誇示するように、彼は部屋に入ってくるなり注射針を取り出し、左腕をゴムチューブで絞った。その手慣れたしぐさを常習だとすでにオヤジは察知していたのだろう。西部劇のようなその劇的なアクションを彼にあびせたのだ。「出ていけ!」。

  その外人はげっそりと頬のこけた怪人と化し、悪態をオヤジにあびせるでもなく、親愛なるイスタンブール・ステューデントホテルをおとなしくあとにした。部屋を占領していた日本人同士で、勝ちどきをあげた。出てくる言葉はテストの答えを充てたように奇妙に一致した。「コカインだ」。

  シルクロードは別名「(麻薬)ルート」であった。日本人の若者に見せすぎのコカイン中毒患者のふるまいとその記憶はゆるがない。そして、ここイラン-アフガニスタン国境では罰が下されていた。日本人の同世代だろうか、バックパッカーの見せしめの展示品と彼の牢屋入りのメッセージはいただけない。

  日本人の某氏はバックパックのアルミのパイプに大麻を忍ばせ捕まった。その見せしめを見せつけられるツーリストは自衛せざるを得ない。

  イランから先はとにかく危ない。これがツーリスト同士の合言葉だった。バスに乗ると大きなバックは屋根に挙げられてしまい、手元を離れたバックに何が起きるかわからない。バックが切られ、物が無くなる。嫌疑の品がまぎれこんでいようものなら一巻の終わりだ。バスの上の荷物には責任がもてない危険地帯に来たのだった。

  イスタンブールでそのあぶない話を聞き、とりあえずバックをチェーンで巻き、錠前をかけるイメージに決めた。そこでエジプシャンバザールに一式を買いに行くことにした。チェーンと鍵をそれらしき店で買い、私はチェーンを二重巻のマフラーのようにして首からしたたらせ、バザールを買い物客然としてプラプラと歩いた。

  すると、煌々と灯りのついた土産物屋のあちらこちらから、若い店員たちが大道の見世物をみつけたように、次々と私に声をかけてきた。発想ゆたかな店員がトルコリラを出してきて、私のチェーンをいくらなら売ってくれるのかという冗談ともつかない寸劇を始めた。私はそれに便乗して、有難いことに買値の倍で彼にチェーンを売ってしまった。

  バザールを木製サンダルをつっかけ、奇妙な風体で歩いていた私を、まるでプロレスラーの怪人ヒール(悪役)に会ったと勘違いしたのだろう。その渋いシルバーメタリックのチェーンを巻いた姿は目立ちすぎた。