2010年4月26日月曜日

天山越えは旅疲れを友として




       朝の人通りはまばらだった。クチャの土地の人は宵っ張りなんだろう。それでも、向かいのバスの切符売り場だけはにぎわしく、人がたむろしていた。


 僕は宿の娘さんが汲んでくれたバケツの水をポリポットに移し、顔を洗った。準備万端の相棒が早くも行ってくるよと、切符を買いにそそくさと宿を出た。

 気持ちのいい朝だった。テラスには赤い日々草が咲いている。空は青く天気はいいようだ。キジル千佛洞行きの時お世話になったウイグルのオヤジさんが主人だった郡遊旅社に昨夜から泊まった。斜め向かいの切符売り場の扉が開いているのが見える。北京時間9時の出発時間が迫ってきたので荷造りをしていると、相棒がなぜか戻ってきた。

 「時間だって言うのに、まだ切符を売らないんだ」

 僕たちは今日の目的地を天山の峠を越えたバインブルクにした。モンゴル語のその音の響きにひかれ、バスの発着場があるのではないか、という程度で、距離数と山越えのアクシデントを考え決めていた。

 相棒の様子を見に部屋をでた僕は、外階段を駆け下りようとした。すると相棒があわてて切符売り場の扉を飛び出し、階段を駆け上ってきた。

 「財布をすられた!凄い人だかりで・・足元を探したんだけど無いんだ、こんなこと今までなかった!」

 まったく、昨日のアクスに続きまずいことが重なるものだ。
中国新疆ウイグル自治区の西域北路の要所であるクチャを基点に僕たちは小旅行を重ねていた。タリム盆地の中でもクチャは落ち着いた町で、訪れる者に安堵感をあたえた。タリム川沿いのこのオアシス都市は木々の浅黄色とゴビの土色が調和し、民家の木の扉はラピスラズリの鮮やかな青がまぶしく、町を訪ねる者に明るい印象を与えていた。

 玄奘三蔵の『大唐西域記』にも名を記すクチャは、いにしえの城郭都市・キジ(亀茲)国の面影を旧市街(旧城)に残している。ロバ車にトコトコ揺られ路地を抜ける。視界にはブドウ棚、やせたポプラ、さんざしの木には紫の実、改築中のモスクにウイグルの老婆が佇むセピア色のコンテを眺める緩やかな時間が続いた。それはロバ車の早足とは不釣合いな営みの鼓動だった。

 そのクチャに昨日、アクスから相棒と僕の二人で戻ってきた。西域北路の本道を迂回したバイチャン(拝城)経由の帰還だった。もう一人、中国人のワンはカシュガルに一人出立した。一昨日の夕方、砂嵐の前兆がみえる中、僕たちは一時の別れの宴をアクスビールをのど越しにかみしめながらもった。

 アクスのバスターミナルでの別れが思わぬ天山行き路線バスの発見につながり、相棒と僕は再びクチャから旅立つことになった。二日続きのつまづきが、相棒の旅疲れの顔に出ていたことに僕は納得した。