2018年10月29日月曜日

いきもの達




この秋も鳥の餌場は一番のにぎわい。窓辺から観察できるモズ、コゲラ,ヤマガラ、ムコドリ・・・小さい鳥が次から次からやってきて餌をついばむ。朝のキィー、キィーという鳴き声がなごみのひと時だ。小屋に泊まる常連客にとって、森のいきものには話題が欠かない。



薪割りをしていたらたぬき二匹が庭にちん入したことや「この前はしっぽがふさふさしたキツネがやってきた」という兄達のはなし。去年の夏、コンクリート道につながる小屋の生活道を散歩していたら藪をがさがさ音を立てて迫ってくる怪しい?何かと振り向けばどうやらあなぐまのよう。こちらに気づいてUターンしていった。



かってからの蛾は小屋の主のはずだが、今年に限っては全然見かけない、とは吉報だ。しかし歴史的には白い蛾の大量発生が隣近所の大迷惑事件として広域のTVのホットニュースになったそうだから、くわばらくわばら。
 
 
異常発生は今年はにおいのきついカメムシ。掃除機に吸い取ったカメムシがいっぱい。カーテンや廊下からベッドの下から探せばまだいるという困った存在だ。
 
 
そのうちフト気づいたら足元でチカチカとランプが定期的に光る什器を見つけ、これは何だろうと思ったら小屋の主人が野ねずみが嫌う光線放射作戦だとか。ちいさな野ねずみは「見るだけでも否!」という主婦の思いをこの強力な武器にかけたそうだ。

 

 

2018年10月28日日曜日

青春18きっぷ的すすめ 14 森の仕事 森の幸 ~諏訪郡富士見町沢入山 8





アカマツのやせ細った稚樹は思いのほか切れ心地がよかった。細い木だから根元から40~50㌢の高さのところでふた息程度で中ノコで切ると、ストンと落ちるが周りの木々に触れ合って倒れやしない。そこでもう1㍍上を切るとこれも倒れない。そこで切ったところを肩に担いで坂を駆け上がるとザザッと倒れた。


その爽快さを久しぶりに味わったが、何本か切っていくうちにマツの稚樹の根元がくねっと折れ、根元が露出した。




驚いたことにその根っこには根を張ったという跡がなくて「こいつは、ただでくの坊のように立っていたのか!」とあきれてしまう。


一般的にはマツの根は深く張る深根性であり伐採したら木の根が残っているものと思っていたが実際はそうではなかった。


ここの土は落葉常緑樹に覆われ腐葉土がしめている。山の端の上部にあたる斜面で水脈は深いところにあるのだろう。


アカマツは水や土からの栄養が主、陽の力は従の状態だと周りの違う樹種同士で癒合しているのではないだろうか。地上部の癒合は枝で見る機会があるが根っこは込み入っているという感じだ。日常茶飯事ではないだろうか、そうした状態は。だから稚樹はひそやかに、かくれるように森の中で居所をみつけることができるのだろう。

 
 
 

コナラなどの広葉樹が斜面をおおった青木の森の土地は、樹間に陽が深く射さないので稚樹の成長が遅く、のっぽの稚樹ではてっぺんだけが緑が天に葉を広げたり、多くは樹脂が皮剥けになって途中で成長を止めざるを得なくなっている。里山づくりが人の手で手をかけ根本に陽が射しこむ理想を掲げても木の太さや剪定対象の木を選択することの難しさ等から思いの絵図はいまだかけないでいる。


それは月日が経って少しずつ倒木対象の木を拾ってもいまだ変わらない。そこで思い切って松や杉などの針葉樹に絞って倒木作業を始めた。一昨年の秋つれ合いとチェックにかかり、倒木する対象木を20本近く、黄色いテープで目印にしたのが始まりだった。

 

2018年10月3日水曜日

八甲田登山



名月をとってくれろと泣く子かな
 
 



 


最近では丹沢・大山、奥多摩・高尾山ぐらいで30代以降、本格的な山登りはトントご無沙汰だった。この現年齢マイナスなんぼの高低落差が装備、体調、運不運で露呈したのが今回の古稀記念登山のハイライトだ。このため雪行軍で有名な豪雪の山、八甲田山の主峰・大岳と途中の上・下毛無岱(岱・たいは沼地の意)周囲の圧巻を誉め過ぎても余りある高密度の山旅になった。これに対し意見を異にするであろう今回の相棒・K君の忠告は次回に持越しということにして、まずは「装備」をみてみよう。

 

初日、大岳の南麓にある酸ヶ湯キャンプ場でのテント張りは順調だった。しかしK君からは多くの反響があった。

「なつかしいなァ三角屋根のテント!」「雨が心配だったけど軽量山靴を履いてきてスパッツをわすれた」「食料は災害常備品中心、一緒でよかった」等々。僕のテントは一人用の60年~70年代のまさにキャンバス地の三角テントでこれは一種の貫録勝ちのつもりだった。ビニール傘を除けば雨具は上から下まで万全にした。二泊三日の食糧は結果、余るほどつめ込み災害常備品の半分以上が缶詰だった。
 

こうなると装備はどうしてもてんこ盛りでK君がキャリーバッグとザックの二個口で行くという話が自分のことになってしまった。重く引き摺る、およそ考えたことがなかった山旅スタイルが出来上がってしまったのだ。

 

20㌔以上の山の道具を担ぐのはシルバーエイジには無理である。踏ん張る力に自信がなかった。加えて致命傷になりかねない事件がおきた。
 

行動日の四日前、24日の夕刻、雨降る中を僕とつれあいは保育園に孫を迎えに行った。一歳過ぎの孫を左手にかかえ傘を差し保育園の階段を降りた途端、ツルッと滑った。孫は驚いて泣き出し僕は仰向けに倒れ右足先の甲を赤く出血し擦り剥け、左足のふくらはぎを打撲した。こらえ、おちょこになった傘を戻し孫をなだめ家路に着いた。つれあいと現場を見ていたお兄ちゃんはそれをわかっていたのだろう、家に帰ると直ぐに「二階に上がろう」といって僕を誘った。
 

二階の息子の部屋がこの子のお気に入りだった。部屋の天井には闇になると蛍光色で輝く散りばめて貼ってある星雲を見るのが好きだった。梯子に昇り蛍光灯の灯りを消すと「成功!ヤッタ、ヤッタ!」とはしゃいで喜んだ。彼の想像力は今度は星を採ってくれ!というのが願いだった。僕は竿のようなものを持って痛い足をかばいながら一段、二段とその子と唱和しながら天井の中秋の月に手を伸ばした。

 

 
 

~下毛無岱から酸ヶ湯の僕らのベースキャンプの下りは思いのほか順調で心配していた足が痛くない。もったのだ。先に下りた僕は温泉会館のフロントに駆け込み二つのことを頼んだ。「キャンプ場に泊まったんですけど、台風24号で刺激された秋雨前線で明日は雨が確実。テントの入口のジッパーが壊れたこともあり雨天の撤収も無理なので素泊まりをお願いしたい」「山の道具がパンパンでキャリーバッグのジッパーが壊れたので宅急便で家に着払いで送りたい」。山道の下り道、台風、大雨、壊れたテント、壊れたバッグのキーワードを考えていた。景色を見るのも虚ろに僕は一つの結論をそう、出した。
 

結果は旅館の配慮でOK!になった。下りてきた相棒に僕はソフトクリームを頬張りながら伝えた。彼も賛同し、キャンプ場の二日目泊をキャンセルして湯治棟の六畳で体を休めることができた。
 

翌日は朝から雨。僕たちは一個口のバックを無料の送迎バスに乗せ青森駅に向かった。
 

それからの作戦も吉と出た。駅のみどりの窓口で係の女子に「とくダ値25」をみせたところ一度キャンセルして新しい乗車券をという。次に僕らは新青森駅に鈍行列車で行った。僕は構内で悩んだ。大阪は台風の影響からすでに翌日の列車の運行を発表していた。東京管轄は大型台風に対する翌日の対策をいまだ行ったことがない。東京では計画運休が伝わっていないことが、つれあいから伝わった。この切符で夕方に乗車し20時すぎに東京に着いても運行の見通しが午前10時段階では判断がつかない。そして僕らはみどりの窓へ。みどりの窓口の係りの女子が一枚の紙を確認しながら「台風のため乗車変更ですね」とあっさり次に発車する新幹線の指定席きっぷを僕たち二人に発行した。なんとドッキリな話ではないか