ヒュッテ・ツワイザアムカイトの快と怪
小屋のテラス越しに斜面の庭を望むと、目線が敷地の入り口先まで見渡せる。誰か来たな!と、すぐわかる小屋の造りにはしゃへい物があってほしかった。ゆったりと過ごす小屋の居心地にそれは欠かせない。そのことを思いださせたのが今では5㍍程に成長している紅葉(もみじ)の存在だ。枝葉を左右に伸ばした包容力はその苗木のころを知る者に安心感を与える。
樹木のありようは春の小屋開きの季節に敏感だ。萌えいずる緑の洪水に呆れる頃には豪雪の地が厳冬の冬を乗り越えてきた証となる。東側のテラス越しの大木が切られて数十年。山桜の切り株が鮮やかな茶系の切り株をいまだ残すのには感心する。生きていると伝えてくれる見本のような存在だ。そして、この切り株跡の双璧になる裏庭の山桜が小屋を覆うように枝葉を伸ばしている。、盛りと咲き誇る姿をカメラの被写体にとどめておくにはもったいない。そのシンボルが寿命を迎えていようとしてもだ。
ウッドデッキのテラスが一間(いっけん)ほど拡張されて紅葉に手が届くほどになった。何年か前にリフォームした増設のデッキの天井は作らなかった。小屋を閉じるときには仮の板敷きを乗せるようにし旧デッキにひもで釣りあげていた。そうしないと豪雪の重みに耐えられない。ところが小屋の主がその撤収時の作業を一人でするにはいささか無理があったようだった。コロナ禍では動きに動けない事情が発生してしまった。それが佐藤工務店の力を借りて新しい生木の板敷きにしてこの春完成した。
僕は新しいテラスのペンキ塗りに到着翌日からとりかかった。小鳥が集まるエサ台はその作業を見守るようにあった。