2013年4月22日月曜日

サガルマータトレック  シャクナゲ道にて



34Karikhold

LUKLA2850㍍)

35Ghat

36NAMCHE BAZAR3440㍍)

 
34
 Junbesiロッジの朝食は久しぶりの焼き飯とたまご。745分、ゴンパの門を抜け、川を渡り山腹沿いに登りはじめる。今日はあいにくの曇り空。峠にくるとゴンパ(仏塔)がすくっと堂々の姿で立つ。その間にはたはたとはためくタルチョ。疫病退治の赤、白、緑、黄等彩色あせた旗が風にのってやってくる疫を退治してくれる?迷信,呪い、魔除け・・の威風な姿。

 ここらへんから、北のエベレスト方面の源流がひらける。これまでとは違う本格的な登山の苦労がやってくる。きつい下りでひざが痛い。Tragshindhoにラマ教の寺院あり。Manidingmaで昼食。テントをはる西欧人2人。昨日会ったシェルパと西欧人が上流に向けぐんぐん登る姿がみえる。

 Junbingは北の上流に向かう起点。崩れ岩が堆積するなかに家とやせた畑があり、自然と対峙する山の民の恐るべき生活。V字谷の渓谷がはっきり見える。昇りつめた尾根から見る段々畑の面と面の連続。黒沢君曰く黒部だなァ!僕は四国の焼畑の村と形容。Karikhold 545分。

 35
 Karikhold 8時発。川を渡って峠まで直登。早くも猛然と汗をかく。今日の寒さと曇天は最悪だ。たまった疲れと単調な景色で歩くのがいやになる。Puiyanで昼食。ピンクのシャクナゲと沈丁花のにおいにすくわれる。Surkyoで一瞬の晴れ間から雪山がみえる。帰りの空の便が発進するLuklaを経ずして崖路にゴンパのある村を通過しながらGhat6時着。

36
 昨夜見えた星空が今日の晴れに通じた。上流の山の先にナムチェがあるはず。川伝いに昇る。白い岩を眺めながら橋を渡って1時間弱でNamcheBazar。ナムチェはにぎやかな集落だ。子ども達がブリキのバケツを叩いて踊っている。12時着。風が強くなってきた。

 

 

2013年4月7日日曜日

サガルマータトレック   高度順応の道





228日カトマンズ(1300㍍)

229Nigalam

Yarsa

31Chisapani

JIRI(1905)

32Chyangma(Bhandar

33Junbesi2675㍍)

229
 28日出発の予定が一日遅れのサガルマータ(世界の頂上)トレック。これから数日間は芋、野菜、ライス、茶に限られた食事になる。7時半のバスに危なく飛び乗ってLamsong12時着。ここから買いたてのショートパンツに履き替える。峠まで2000㍍程の登りは多くのシェルパ族の男性が行きかう交易の山道でもある。地図の縮尺が間違っているのかアルバイトがきつい。Nigaramの峠の集落に日没寸前に着く。かなり寒い。トレッカーは僕ら2人とオフシーズンのためか小屋は現地のシェルパを含めて8人ほど。

 3月1日
 朝7時半、霜が一面はりつめた山を下る。歩きながらHelambでみた椿はきれいだったなァ、と黒沢君に話したら「交易のこの道に散ったようにばらまいてるシャクナゲは宗教と関係あるんだってさ」と言った。椿は間違えだった。シャクナゲは山頂から中腹まで茂って、それも鮮やかな紅色のシャクナゲだからすごいな、と思った。

  ネパールの山は耕さられた段々畑が遠くて見えないふもとから山の上まで続く。その大きさがすごい。第一の大河近くKirantichapで昼食。トロトロと煮たったチャイ。なにが用意されているわけでもないから12時着で1時半に出発。のんびりしてしまう。出会った小学生の足の速いこと。素足で橋を目指して飛んでいく。
 
 Yarsaまで今日は行きたいので7時まで歩こうと黒沢君。彼は谷川岳のクライマーでは止まらない山家だ。速足についていくのはきついが段々畑の景色に感謝して頑張る。それが峠のChisapaniまで行くことになる。かなりお互い疲れるが夕やみ迫る7時過ぎに着く。ここまでは他のパーティーなら5日かかるところ僕らは1日半で来た。この先を考え少しは自重しなければとお互い納得する。

 32
 風邪ひきからあまり眠れなかったが久しぶりの朝糞をたれて8時半の出発。第二の大河に向かう。段々畑に行きかう土地の素足り男。シャクナゲにヤギ、バクのフンを見ながらひたすら歩く。「ナマステ」のあいさつが気持ちいい。

  第二の大河は鉄の架橋。ここから峠までは昨日ほど距離はない。下りは膝が痛い。ショートパンツは粗悪品で色が抜け下のパンツが真っ青に染まってしまった。3000㍍の峠からBhandarChyangma)までわずかの歩きで545分着。昼の昼食をとったThoseでは痩せこけた犬が昼寝をしていて、毛をむしられた鶏がようやく生きているような。小さな子供が道に倒れていて泣き騒いでいても誰もかまわない。交易の道にはなんでもありだ。石を敷きしめたThouse集落。

 33
 この強行軍では睡眠が大切だ。ヒマラヤではメシの次に気をつけなければいけない。きついのは子どもの夜泣きや夜通し泣きわめいている中を寝ること。大人が早朝から歌を歌っているのにはまいった。おまけに体調が悪いとこうした雑音がこたえる。今日の宿泊地Junbesiはどうなりますやら。

 8時半出発。第三の大河に向かって下る。橋を渡って登るとPhedi近く。白砂が川床を広く覆い、上流でも河川が大きいのに感心する。Phediに着いてようやく雪山が北東方面に見える。また峠をめざし、川をはさんで南に4000㍍の山が見える。これからが長いアルバイトだ。ラマ教のゴンパ(仏塔)が尾根道の集落に立ち並ぶ。峠近くに残雪。樹木にこけむした皮ふがはりついたようなサルオガセやのっぽのシャクナゲが尾根道に茂る。東の方もモミの木とシャクナゲの林で夕日に照り輝く中を下る。北八ヶ岳でみたような記憶がよみがえる。

 下に見える白い家々はアルプスの村落かと錯覚してしまう。Junbesiの集落が下に見える。まさかパキスタンの山は見えないだろうけど、ヒマラヤのナンガ・パルバットなら、と思う高山が黒雲の間にキラキラと夕日に染まり輝いている。ヨーロッパアルプスの村落はこんな感じなのかなァ。715分すぎJunbesi着。