2011年4月3日日曜日

アナトリア高原の一宿一飯





































11月28日 アクサライ~ネヴシェヒル間の農家 20トルコリラ

11月29日 カイセリ セマホテル15トルコリラ

11月30日 マラテヤ


(記憶遥か)
 夕方、アクサライの手前の間道に入り峠道を越えおよそ5㌔の登り坂。ヒッチハイクの車を待ちながら歩いていると、後ろからトラクターに乗った農夫が運転しながら「どこへ行くの?遅くなるとここらへんはオオカミが出るよ」と耳にツノを人差し指でこさえて話してくる。「わたしのところに泊まりなさい」と松岡君とわたしの二人にささやくようにいってくれた。ネヴシェヒルまでアンカラから一日の行程とふんでいたが、ありがたく泊まらせてもらうことにした。。


 丘上にに建つ石造りの一軒家しか暗がりで見えない。水源が近くにあるとおじさんが手振りで教えてくれたので集落や畑があり、ガソリンスタンドも幹線の道をもうすこしいけばあるらしい。ここら辺はさびれた寒村というわけでもなさそうだった。


 住まいは二階にあり奥さんと二人で暮らしていて、知らないうちに大勢やってきて歓迎してくれた。食事をして、スイカを食べ、なにをするでもなく自然にアッラーにお祈りする。南の方角を向いて手を組み膝を曲げ、でんぐりがえし風に手をつき腰をあげお祈りを真似する。そうじゃないよ、とさとされてなんだかんだイスラムの礼拝方式は難しい。一部始終をおしえてもらい、メッカの方角じゃなくていいんですね、などとひとりで納得するように話しかける。


 そして寝る時間になったら奥さんはいなくなってしまった。外に出て寒気にふれながら天上を見上げる。天上は満天の星どころか天の川が目の前に迫ってくるように広がって全面集密だ。さながら、夜のしじまのなんと饒舌なことでしょう。


11月21日


               アクサライ~ネヴシェヒル間40㌔の寒村


 おじさんと奥さんの二人。息子さんはイスタンブールに働きに出ているそうだ。友達やえらいさんが続々とやってきた。二階に上がりちんまりと座る。チャイ(紅茶)で歓迎。おじさん、僕ら二人、えらいさん、おじさんの友達とわたす。その間、子ども達(男子三人、女子三人)が来ていて二階がいっぱいになり併せて13人になる。大変な歓迎だ。


 食事は大きなお盆を囲んでおじさんと僕ら二人から始まる。粉チーズ+アイラン+くずもちのたれのような感じのスープ+薄くひきのばしたヌンを食べる。デザートは小ぶりなスイカ。大きなお盆の上で切ってくれる。翌朝は粉チーズ+ヌン+スイカ。お盆は直径1㍍ぐらい。暖をとるのはダルマストーブのみ。飲み水を入れるツボ(15㌢×50㌢)。ふとん置き場のふとんは座布団より厚めで正方形に近い。背布団はわらを束ね色彩豊かなシーツをまいている。壁のタペストリーも色彩豊かで床にはじゅうたんが敷きつめてある。


 おじさんは背にもたれながらスイカの種やたばこのカスをペッペ、ペッペと土間に捨てる。子ども達は率先してチャイの後片付け。食事の前後も子ども達はおとなしく僕ら二人を見ている。奥さん、子供たちは僕らの後に食べる。


 窓の戸口の物入れにはラジオや目覚まし時計、額入りの家族の写真が置いてある。灯りはランプにたよっている。寝る前に二人で折り鶴をおっても反応はきょとんとしている。お別れの時なぜか僕は毛糸の手袋を二つ持っていたので、風呂敷とジャガードの赤い手袋のどちらかを差し上げたいと手振りで伝えた。奥さんは恥じらうように手袋がいいと合図をおくったのでお土産にあげた。泊まり賃も払った。