2009年8月15日土曜日

シリア アレッポ、人間・HASSANの言葉




9月26日シリア
32ドル換金 1392ドル

 生きるということは、最高のものを手に入れるための戦いだ。人としての成長は曲線を描くのではなくストレートな歩みでいい。
    *       *
人は人だ。とにかく、どこにいても・・。
  Judat Hassan
    Syria-Drykish

 イスタンブールで過ごした時間は、この二年間の仕事の疲れを休めるためのものだった。出会った友は振り返ってみると不思議な感じがする。なにか触れたとたんに通り過ぎ去り、彼らは僕がこれからどこへ行くかを教えてくれた恩人のような存在だった。

 それからここシリアに入って、アレッポで大変気難しい青年にであった。強行軍から体を休め大部屋のシングルベッドで座っていると声をかけてきた。彼は哲学を勉強している様子で、アラビックを僕のノートに書き、英語でも書いた。それが上記の詩だ。日本語を書いてくれというので、名前を漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字表記で書くと、「日本語はこんなにあるのか」とびっくりしていた。こちらが説明すると、彼の表情が変わった。よくある、人を小ばかにした表情からまじめな顔になり「年はいくつ?」「26歳だよ」。とたんに態度が礼儀正しくなった。

 その一瞬のどぎまぎした表情は人間的で、世界はやはり共通な感情表現があるんだと思った。アラブの部族社会は年上を敬うという倫理構造があることを差し引いても、人と人の感情は外国人という何か知れない差の概念を超えて共通だということを、彼から教わり気づかされた。

 彼はソ連を信じアラブの開放を願っていると語った。明日、考古学博物館へ行って、ホームズ、パルマイアに向かう。

2009年8月6日木曜日

イスタンブール  カルタルの汗と匂い




9月15日
40ドル換金 1401ドル
イスタンブール旧市街波止場・エミノニュ~アジア側波止場・ユスキュダル経由漁村・カルタル

(記憶遥か)
夕方、ざわついたアジア側のユスキュダルからミニバス(ドルムシュ)に乗って郊外の漁村に舞い降りた。イスタン旧市街から二、三十キロ離れた漁村・カルタル。待ち構えていたように若者が私に紙をさし出した。クリーム色の紙にトルコ語で印刷されたメッセージ性の強いB5版のビラ。アナルコサンジカリズム(アナキズムの産業別組合運動)だ。オルグだろうか支持者だろうかミニバスの降客と親しそうに声を掛け合っている。いるんだなァ!政治的な洗礼をトルコに来て始めて体験した。ようやく汗と生活のにおいがする普段のトルコに出会うことができた。

海岸ベリにホテルを見つけた。英語が話せるマスターが出てきた。海が見える安い部屋でいいというと、部屋をいくつか案内してくれたがみな高い。もっと安い部屋はないですか?ベッドひとつで歩けるスペースもない二階の部屋を見せてくれた。
部屋は窓がひとつ。ムッとした空気にまかせた。海風にふかれるリゾートムードはいらない。私に相応しい郊外の短期宿泊が目的だったから文句は言えない。

翌朝、ホテルの食堂に来た人たちが、夕べとは違って普通に接してくれた。親日派のトルコ人にとって日本人がこの漁村にいることは信じられないことなのだろう。本家本元のイスタン中心街からちょっとはずれた港町でも。
それが、こうしてやってきた日本人に対し、遠来からの客として接してくれたからありがたかった。私にとって外国人を知るはじめての付き合いの仕方だった。

それにしても顔といわず体中が痒い。
「痒いからって、かいちゃだめだよ。シャワーを浴びるんだ」。若いトルコ人が教えてくれた。
南京虫にかまうな。どこへ行く。港を案内してあげよう。あいつも、こいつも俺の仲間さ。漁は朝早くだから、今は一段落だ。湾で泳ぐか。みんな呼んでくる。ボートに乗りな。写真、撮ってあげよう。気勢を上げてジャンプしたヤツが幼なじみさ・・・
貴重品を決して離さないくせがどれほどトルコの友にかたくなに見えたことか。一瞬、一瞬を感じながら三泊も過ごしてしまった。(2009.07)

9月23日
23ドル臨時収入 1424ドル
衣・家・食を詰めた登山バックの中で必要のない旅行携帯品は、売ることにした。

9月24日秋分の日
イスタンブール発バス便アンタクヤから隣国シリアのアレッポへ