2012年11月4日日曜日

ボンベイで気がついたこと




121日 ボンベイ

122日 237

126日サトナ

127日カジュラホ

 

1月21
 オーランガバード朝7時すぎ、ボンベイに向かう。3人の旅行者と一緒にコンパートメントを占領する。席が空いていてもインドの列車は寝台席が一番いい。上の寝台に上る男2人。女1人が向いの寝台に座り見回す。これで全員席を確保する。しばらく窮屈に寝て、席が空いてきたので全員下の席に移る。彼らはオーストラリア人で僕が210日にネパールで友達と待ち合わせトレッキングするために体を休めるところはどこがいいかと男に聞いたら「ボンベイは物価が高いからゴアがいい」と教えてくれた。

125
 ボンベイに来て4日目。ボンベイの印象は横断歩道の人の多いこと、多いこと。ニューデリー以来の不可触選民(アンタッチャブル)の多さだ。26日の独立記念日ときてはホテルは満杯でオーストラリア人と相部屋で泊まり二人分が35ルピー。イギリスがインドに残したものは何だ!と考えた。

 インド人の人を見る目は鋭い。外国人をインド人は「アッ、外人がいた」という目で見ている。日本人と同じだな。違いは圧倒的な人、人のすごさ!2階建てのトレーラーバスはフルスピードで走る。雑踏を行き来する人の表情はオーランガバードの田舎と変わらない。だのにボンベイの街はイギリスの影響が強くボンベイはインドの生活力を感じさせる。

  オーストラリア人のロディは神経質で気が抜けないらしい。部屋をちょっと出るときも必ず「ジャー、また」とかいって僕は何も言わない男であって。ロディは煙がお気に入りでいつも目がトロンとしていつも余暇というか非日常が日常の世界にいて、そこから目の前にいる僕に「やあっ!」とあいさつする。彼の旅の形は煙のなかから視界を見ている感じだ。古ぼけた西洋人、文化の香りがしない西洋人。そしてその彼を見ている日本人はなにしにボンベイくんだりに下がってきたのか。これから北へ上がりカジュラホで一休み、なにかしら落ち着くだろう。

 今日は不可触選民に足をとられた。チャーチゲイトターミナルからジュフビーチに行く途中だった。小さな子供が3人。床に彼らははいつくばり、そのなかの女の子が僕の足をすくった。まわりのインド人はなにも言わない。逃げようがない!10パイサのお布施で勘弁してもらった。いやだ、いやだ。

 
明日またはい上がってくるか疲れの重し

 

いつも知っているはずの明日の予定が感じ

 

ない ボンベイ4日 暑い 歩道がわたし

 

の仕事路 なにもがそうだ インドの大き

 

いこと