2010年12月26日日曜日

それがローマだ




10月31日(金)
パンがほしいとたった一言
会いたい人はいない
お金はない

パンがほしいとたった一言
お金を無駄にしないために
こころのなかで泣いている

ひとりの時間が重たくて
前を見るのを忘れてた

そうさアルジェのおじょうさん
ぼくの心はここになく
ぼくの思いは孤空にいて

チュニジアの町はいたるところにフランスがあふれている。アフリカのようでアラブのようなそれを上回る世界にかんたるフランス文化がまかり通っている。トラベラーズチェックをなくしたことから、イタリアに行くのに船がいいか飛行機がいいか迷った。安くするにはと、インターナショナル・ステューデント・カードの威力を試した。ところが言葉はフランス語一辺倒。相手の目線は上から見下ろしているような、お客に接するというより一段下の人間を見下すよう。チュニスの町では女性の目線が人をバカにしたように感じる。ローマに行って・・うまくいってほしい。


11月5日(水)
チェックの63㌫にあたる500㌦をローマのシティーバンクでうけとった。残りをうけとる先をアフガニスタンのカブールにした。これからのバスと観光地との振り子のような関係が地図の上ではひたすら東に伸びる。そのインターバルを考え決めた。すべての道はローマから。

今日はサッカーの試合を見た。 ローマのオリンピック会場を巡っていたら熱気ムンムン。 試合会場は大勢の人でサッカー場の周囲の網が破られていて、人々がかってに中に入っていく 。僕も紛れ込んではいっていったら、イタリア人が声をかけてくれたり会場は興奮状態でままよ、と写真を撮った。

ローマの香りは枯れ葉を透き通った川に投げ捨てる時の風のにおいをかいでツンとする感じだ

川には箱舟のようなしゃれた船が岸辺に浮かび 日光浴を楽しむ人やデッキには太陽をあびた洗濯物が干してある

ほんのちょっとにおう温かみのあるすえたにおいはなんだろう 枯れ葉を掃除した後のちり芥 ほんのり残るバスの中ですれ違った人の甘い残臭

ローマの女の人は美しい 真夜中のローマ駅で立ちんぼうする人は手を振ると倍の振りようでこたえてくれた 早朝のバスの中で道をおしえてくれた人はパッチリ目を開いて映えたグリーンのケープコートもあざやかに颯爽と町にとけこんでいった

町には歴史があり埋もれている遺跡は時を超え人々の望みをつつみこんでくれる

たそがれ時の並木はなぜかローマにピッタリの緑色 人々は町並から家路にいそぎ食卓をかこむ
それが僕のローマだ

(記憶遥か)
チュニスからイタリア・シチリア島経由の船便で長靴のつま先にあたるナポリに着いた。船ではイタリアの映画監督であるパゾリーニの変死が大々的に紙面をかざっていた。それをおしえてくれたのはデッキで新聞を読んでいたバックパッカーのフランス人の若いアベックでパゾリーニが若い男に殺され、ホモ同士だったという話だ。私はパゾリーニの「カンタベリー物語」を見たことがあるので、その印象を二人に伝えた。映画は中世ヨーロッパの庶民の性をオムニバス形式で開放的に映像化していた。私は木の上で若い男女がセックスする場面が強烈な印象だったので二人にそれを話した。その時の英語力のない会話と二人にはいやらしいことをいやに平気で話すヤツだと思われたもんだから、アベックの男性との会話がぎこちなくなって、それは私ではなく相手の男性の落ち着かない表情からなんとなく感じたものであって・・つまりアベックに話さなくてもいいことを口をすべらしてしまったのだった。私が二人に話しかけても逃げるように、避けていくように消えてしまった。