2011年7月23日土曜日

公安とマオイストとツーリスト















12月1日 ディアルバキル マーマルホテル10トルコリラ
228㌦

(記憶遥か)
12月2日
 カイセリの街で松岡君と左右に分かれる前日、有り難いことに街で出会った兄弟のおかげで私にとってはアルジェリア以来のハマム(トルコ式風呂)に入ることができた。三助さんの垢すり効果でふやけてしまい、ディアルバキルに着いたときは、なぜかすっかり観光気分になっていた。バスを降りてさっそくツーリストインフォメーションセンターに行き、カウンターのクルドの青年に「クルド人に会いたくて来ました」などと言ってしまったから赤面ものだ。
クルド人とトルコのクルド民族政策は学生の頃、神田の岩波ホールで見た「路」(ユルマズ・ギュネイ監督)で初めて知った。その映画では母親を背負って岩だらけの荒野を歩く主人公や洞窟に鉄輪をはめられ入牢された主人公の姿を思い出す。ディアルバキルはクルド人が多く住むクルディスタンの拠点でもある。
  
そのディアルバキルの周辺で大地震が数か月前に発生した。インフォメイションセンターによると集落だろうかLiceに住むクルド人2000~3000人(6000人の情報も)が亡くなったという。被災者は3日かけディアルバキルにたどり着き集会を開いてトルコ政府に訴えた。政府は一か月で被災民の家を提供すると約束したがテント生活が続いているという。私がディアルバキルに来た時期は地震後の対策が進まず、政治的不安がふつふつとわきでている頃だった。
Lice現地は危険と聞き、私はディアルバキルの城郭の中をあてもなく歩き回っていた。中心部ではバザールやモルタルの商店が開いていて大変な人だかりだった。だが、なんとなく落ち着かない。お店が開いていても人の顔に活気が見られない。様子眺めの人が群がっているような、いつ車輪が暴走するかわからないという感じだった。
バッグひとつで城郭の外をうろつき少女の罵声をもらった私は、人だかりのキオスク商店のカウンター越しに安い赤ワインを注文した。そばに肘をかけ佇んでいた堂々とした体躯のコートを着た男が「日本人か?」と私に声をかけてきた。男はコートをチラッと開き、ニヤッと笑い警察であることをほのめかした。その男とは二日続いて同じ場所で会ったから、公安の監視の目がそこいらじゅうで目をひからせているといって過言ではない。治安の主導権は変わらない、といいたいのだろう。

 
宿のマーマルホテルのロビーも人だかりだった。雑多な旅行者の定宿といった雰囲気で、学生らしい若い人もいた。二人連れの質素な身なりの若者が廊下で声をかけてきた。「君は毛沢東の矛盾論実践論を知っているかい?」。突然なんていうことを・・・私は一瞬言葉が詰まった。「知っていますよ、私の好きな本です」。すると二人はぶつぶつと声を掛け合い、好意的に会釈をしてその場を離れた。政治的人間がトルコ中からここ辺地・ディアルバキルに集まっているのか、と思うとこの時、この地で見知ったことは観光しに来ました、などといえるものではなかった。