2013年5月23日木曜日

サガルマータトレック 旅の頂き




37Pangboche

Pheriche4250㍍)

38Lobuche4900㍍)

Kala Pattar5545㍍)

 39Pheriche

310Tamboche

311NamcheBazar

312Lukla

313日カトマンズ

 3月7日
  4日は旧正月。そのせいか昨日は子どもたちの踊りの声が響き、夜は夜でにぎやかだった。春が来たのだ。アフガンで迎えたのは新正月だった。ネパールと合わせ正月をこれで二回も迎えられた。8時半、ナムチェ出発。ここからがエベレスト街道。昨夜飲んだチャン(お酒)のせいで口からガスが出っ放し。そのゲップのあとはおなら。おまけに下痢ぎみで調子が良くない。

  黒沢君が言っていた。ポカラからトレーニングがてら出かけたトレック先で日本人経営者の宿に泊まり高所登山の注意を受けたと。一に食事はのど元まで食べて身体を強固にする。二に頭を冷やさず胸は温めて。高山は酒は禁物。

  なるほどこの道中でも高度順応せず、お酒をあおってエベレスト街道をヤクの背に揺られ頂上を目指した若い日本人があえなく撃沈した話があった。僕らの目の前をフラフラ往く姿がちらつく。幻影で終わってほしい。

  山稜が真っ白で美しいAmadablang6865㍍)のアイスバーンが東に光る。雲の間からMt.Everest8848㍍)が見える。日本から来た女子登山家3人とローツエ隊の一員。日本人が多いこと。

  川がY字に分かれるPhunkiでキジをうち、ゲリのしまつ。Thyangbocheの有名な僧院に1時半着。ここからもう一度川に向かって進む。雪解け道を歩く。川の岩場にはつららが残り夜の寒さは氷点下になる。Pangboche3901㍍)に4時過ぎに着く。まわりは雪だらけの山々。黒沢君が言っていた。ヒマラヤはヨーロッパアルプスよりでかい。なるほどここはドカーンッと広くて重い大きさだ。

 38
  Pangbocheの宿は貧しい。黒沢君いわく「ヨーロッパアルプスの時代物の家はこんなだった」。部屋中が煤けているのが気になる。家が23軒であってそれが集落。畑は硬く、畑は石で囲まれ、そんな土地にいる生活。家の人は風呂に入る習慣にない。汚れているとか汚いとかは全く関係ない生活がある。
 
 昨日の夕方登った裏山から見た山の景色は素晴らしかった。今日もそう期待したい。

 8時過ぎ出発。今日も快晴。Phericheまで難なく進む。Dingbocheに行く道と別れ左に巻く。Phericheにはホテルが二軒と病院がある。右手の丘にヤクが放牧されている。ゴムぞうりでかけ上って写真撮影。14000ft.4250㍍)の地にいるといっても高度障害による変化はなにもない。

 Lobuche4900㍍)に向かう。ここからはゆっくり。逆に黒沢君はペースが速い。ケルンが見える。Lobuche Peakに迫ってくるころいささか頭が重くなってきた。そこから沢に降りてゆっくり昇っているうちに酔っ払いのような症状からふらふらする。今はいささか頭がムカムカする。

 39
  7時半発、Kala Pattar5545㍍)着1045分。

 昨夜は寒く夜半に目が覚めた。真っ暗な部屋。かすかにドアに射し込む月光をたよりにトイレに立つ。不思議に記憶はしっかりしたものでつまづくこともなく外の放尿、シュラフ・インの行動がスイッチが入ったようにうまくいった。真夜中の小便の時間は長かった。見上げた空は星ばかり。

 快晴、風よわし。絶好のラストコースだ。クンブ氷河が押し寄せて止まったようなところがLobucheでここから堆積したモレーンの岩山を乗り越えていく。岩だらけの道は靴にはひどい負担だが最後の務め。黒沢君にカメラをわたしたくなった。カメラを構える気力がわかないのと先方隊の栄誉を伝えたい気持ちから自然にそうなった。いい写真を期待する。

 足元を見ながら登る。あごがのどにくっつく感じだ。呼吸がきつい。頭がボーッとする。締めつけられるように頭が痛い。孫悟空のように頭を金属で締めつけられた苦痛が続く。

 アイスバーンになった砂地をわたりガレ場を昇っているつもりだった。ところが事実は貝殻模様ををたどるように下っていた。気がついたら遥か東北にKala Pattar Peakがあった。Pumori7145㍍)が前面にそびえKala Pattar5545㍍)がPeakだとわかる程度にみえた。簡単には登らせてくれない。

 タルチョがはためくトレックの最終点、Kala Pattarに着く。西には世界一美しい山、PumoriMt.Everest8848㍍)の主峰。東にLhotse(8516㍍)まで雄雄しくそびえている。やや雲が多く、上空は風が強い。頭を締めつけたような痛みが消えていく。

 

 

 

 

 

2013年5月4日土曜日

サガルマータトレック 男性、女性そしてサルのあいだ






(記憶遥か)

  ナムチェでは大きな宿に泊まった。ロッジ風で天井が高い20畳以上のドミトリー部屋だった。僕ら二人と反対のブロックでは昼間から笑い声が絶えない。若い女性の登山者が二人、リズムに合わせたように秒きざみでケラケラ笑っている。どうやらオナラが止まらないためのようだ。

  そんな中、若い男性の登山者が黒沢君に向かって話しかけている。「日本人は部屋を一旦出てほしい」といってきた。なんだかわからないので、そのまま着替えていたらまた、その男性が催促してきた。わたしは「おかしいんじゃないの、なんで日本人なの?」と黒沢君に尋ねたら、そのスイス人だという男性と同行している女性が足を洗いたいので出てほしい、といいたいのだった。

  なんで室内でバケツの水で足を洗うのか、登山に慣れていないハイカーが飛行機で一気にLuklaを経由してナムチェに来ることができる現実にわたしはあきれた。ようやくナムチェに着き、わたしはそんな連中にかまっていられないという気持ちでいやいや部屋から出ようとした。扉越しに「男性は皆出るのですか?」と振り向けざまに言い外で待機していた。ところが男性は一人が続いただけでそのスイス人の男性はまったく部屋をでるそぶりを見せなかった。そこでわたしは腹が立ったのでまた扉越しに「君は男性なのか女性なのか、それともサルなのか」と憤懣やるかたない言葉を吐いた。

 「あのアベックは日本人を名指しで出てくれって。そういう連中なんだ」。共に部屋を出たフランス人はそう言った。そして、僕ら三人は10分も経たないうちに、笑うことも覚めてバケツをみつめていた若い女性の登山者たちのいる部屋に戻った。