2008年10月26日日曜日

シルクロードに恋してます


”人生”という言葉を使う特権は、若者にある。実際よく使った。外国の女の子に手紙を出す中で”人生”を使う。いやみ?のひとつも言いたくなるのだろう、「あなたの言う人生は、生活なの・・何なの?」LIFEは難しい、ということに落ち着く。そんな哲学じみたことを平気で使う朴念仁だから、まともに付き合いたくなる男性ではなかったのだろう。

久しぶりにあった友達と自然にこういった哲学じみたことを語り合うと「久しぶりにいい話をしたなァ」なんていわれ、こっちがビックリしてしまうことがあった。いずれも20代後半のことだったけど。

ブログのスタートからこの"人生”にこだわり、自分が生きたきた時間の区切りを意識してきたのは、きっと”物の見方、物の考え方”にこだわってきたからのような気がする。そこで、というわけではないけれど、自分の原点、これを整理整頓したいと思う。

26歳から27歳にかけアジア、アラブの旅をした。これが、大きい。そこで、少しづつ日記を紐解き、現在から思い起こした心に残るあの時のこと、この二つの時間の動きを併記した新しい心象小説を手がけようと思う。
では、中休みもあろうかと思うけれど、少しづつ。


1975年の青春
                                      うき がく

1975年8月26日,私は横浜から旅に出た。約8カ月のロングラン。旅の長さは二の次,日本から出ることに意義を見つけ私は、旅立った。出ることが,当時の私の救いであった。閉塞している世界と私の存在を切り開く機会を探っていた。・・・生産と消費、シルクロードとシルバーロード、東洋と西洋,日本と世界、社会と私、私と友達、私と好きな人・・・反する何かとの戦いであり、私との葛藤に費やしていた時間との決別、空間の飛躍。日本から出ること。

8月26日
晴れ。横浜/横浜大桟橋。小杉が港まで仕事を抜け出し、来てくれた。11時出発が二時間の遅れ。ナホトカまでの二泊三日の定期航路は、ジェルジンスキー号。
所持金1672ドルと3万円

英会話教室の先生・ウイリアム・ピーター氏(アメリカ人)とコンピュータの専門家、トビリシの学会出席の大学教師・吉田氏と相部屋。ピーターは真面目で行動的なインテリ。吉田さんは気が小さいが,自信満々の若手エリート。
甲板で、ベンチに座ってよもやま話の面々は・・札幌から帰露する領事館一家。子どもは双子を合わせて5人,みな女の子。男の子がいないので寂しいと気さくに話す。自称半分づつの先生かつ教師のドイツ人。なにが半分なのか,同じようで違う先生,いや教師。ニュールンベルグ郊外に住み、日本では人気があったと言う。僕が一度ドイツ語で挨拶したことを忘れない,大変気を使う寂しがりや。なんで僕がシリアスマンに成るのか分からない。会うごとに丁寧なあいさつをする。


次ぎに日本人のバックパッカ-、ポーランドの学会へ出席すると言う院生、エトセトラ。
同じような気持ちで,同じようなスタイルでヨーロッパへ行く若者なぞいるわけがない。必要があって,目的があって行く。我らは洋上でくつろぎ、おだやかな地平線と陸をただ見つめ、たおやかな時間に帰っていく。新鮮な空間に日本人が和んでいる。

ソ連の女性はどこでも,いつでも一生懸命働く。実に忠実かつ悠然にして大らか。自分の仕事だけする。船のなかのホステス,インツーリスト、係官が、すべてそんな風。ロシア人がソ連人を代表して。

2008年10月9日木曜日

だった、こと。



人生は何年?現在の感触では90年といって言い過ぎではない。40歳の頃考えた。

一世代が30年、すると人生は三回のクールがあっていい。40歳は一生の後半戦に向かう地点。なら、ここらで切り替えてもいい。体力、気力できつくなってきた専門紙記者を辞め、好きな写真と文章を駆使して独立しようと考えトライした。

だが、事態が許さなかった。しばらくはと考え、営業の仕事をした。ところが、仕事の中身が面白かったことから新聞社以上の勤続時間をすごしてしまった。そして、60の大台にきた。

人生は後30年になってきた。確かに周りを見ると、老けるのが急速にやってくる年代だと感じる。父親が「70歳になっても心は50歳、でも体力は気力をはるか遠くに置き去りにして目の前を通り過ぎていく」という、ため息交じりの言葉を肝に銘じなければいけないかもしれない。凡人であれば、そこを基点にコツコツとことをやり遂げるとしよう。
では、何をやり、時間をすごすの?「時間をすごす」余裕が後30年と過去との大きな違いだから。

2008年10月7日火曜日

有限の時間



久しぶりの原稿書き。緊張するし、はて何を書き何を伝えたいのか・・まだはっきりしないんだ、正直な話。
今関心があること、素直に出したい。過去、将来でなく今を知ることから始まる。このことを肝に銘じて継続は力と信じよう。
ひとつはパソコンを力としたい、これがスタート。エクセル、ワード、タイピングを納得できるラインに押し上げること!
11月で60の大台。社会的にも、身体的にも大きな節目。そして私にとっては第三の人生のスタートだ。この人生私感を次回にでも・・アトムヘアー