2015年5月1日金曜日

 京都路傍観察  予兆はエンストからあった





 

上 かつては葬送の地だった清水。発祥の音羽の瀧まで人、人

下 鴨川沿い、準備中の料理屋はもう夏の風情だ




                           予兆はエンストからあった

 1

市バスはラッシュ時のように大勢の乗客を乗せ、京都駅から206系統を走り出した。発車したとたん、僕はつれあいに頼んで「運転手さんに聞いてくれる?」と下車する停留場を確かめてもらった。返ってきた答えは「よくわからない」だった。

午後二時まえの暑さから、重い荷物を背負ったお上りにとってとにかく早く五条坂に着きたかった。ところが、博物館三十三間堂前を過ぎたT字路の信号前でその運転手さんが突然下車した。エンジンを止めていたけれど何か変だなァと、思うも間もなく座りしな「このバスはここで止まります」とエンストになったことを運転手さんは乗客に告げた。

あまりにいきなりのことで乗客の声はため息交じり。下車した僕は先頭をきって次の停留場に向け速足で歩き出した。幸い車内アナウンスで下車先が近いのがわかっていた。しかし、これが歩き疲れの旅のはじまりになるなんて。

 

 2

清水の舞台で携帯が鳴った。長兄、嫁さんからの立て続けの折り返しは「何か?」という程度のものだったが、大谷本廟の墓参りが順調でなかったことを、自分でも呆れたように知らせた。なにせ7年ぶりの墓参りは墓地の番号しか知らない。現場は広い。その団地群は堂でも二つある。受付に戻って地図に書いてもらったが木造りの墓の開け方がうまくいかない。つれあいに応援を頼んだりわからずの時間を無駄にしてようやく合掌だ。

そして清水寺の舞台からはるか「音羽の瀧」をのぞみ、巨鯨のように人々を吸い寄せ飲みつくすような清水寺をあとに高台寺に向かった。

こんどはガイドブックを片手に坂を巡るように進む。清水寺から二年坂に下がって足裏に力を入れる。ここで転ぶと二年以内にそれこそこけるそうだ。そんな気配をよそにつれあいの足音が聞こえない。速足で知れた人がなぜか遥か後ろにいる。「くるぶしが痛い」という。僕は珍しい話だなァと高をくくった。

 


その日の夜は京の台所、盛り場の錦市場、新京極を市バスの助けをかりてひやかしにかかった。だが、こちらも以前とは時間帯も時期も違ったのでピンとこない。しかたがないので烏丸のホテルまで引き返すようにまた、歩いた。そして、夜食。自然食が売りの店に入り大いに食って飲んだ。旅のエンジンがようやくかかった感じだ。一時間余もして店を出てつれあいを待ったが時間がかかる。「どうしたの?」と聞くと、カードの決済で暗証番号を打とうとしたら少し待ってと、店の京美人が「この機械遅いんですわ!」とケラケラわらった、そうだ。カードは京には似合わないような、そんな気分で通りを歩きだしたら日本酒がきいてきた。

 突然、その道端の細い縁に靴をあずけていた躰が宙に浮いた。あわてて首にぶら下げていた中型カメラを守ろうとして、手で押さえたがレンズが衝撃ではずれ、自分も通りのコンクリートに叩きつけられた。ひざと手の痛み、これは何だという間の無残。

 

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