2010年3月31日水曜日

新疆旅Ⅱ バインブルク草原を越えて 中国天山横断~路線バスの旅


バインブルク草原を越えて
天山(1)~終章(5)


うき がく

 僕はバスターミナルの大看板を眺めていた。クチャへの帰り道を目で追い、タクラマカンの広さにため息をついた。それとは別に同じルートでウルムチに戻る物足りなさも感じていた。新疆の天山(てんざん)南路の要所・アクスは僕達日本人の新疆行の折り返し地点であっても、退路であってほしくなかった。
北にバス路線が延びている。天山を越えて戻れそうだ。南山牧場とは天山にある牧場だろう。そこからなんて読むんだ?相棒がバインブルク(巴音布魯克)と言った。そこから新源、ソ連国境に近いイリ(伊寧)に行ける。おおきく弧を描いてウルムチに向かうコースだ。天山行きが目の前にある。僕と相棒は間違いのないコースと確信した。ところが僕はまずいことをしてしまったことにきづいた。

 僕は昨晩泊まった宿に向かって走った。パスポートをベッドの枕の下に忘れてしまったのだ。バッグひとつを持って昨晩泊まった土塀に囲まれた興隆飯店に着いた。それこそ一走りの距離と時間なのに今朝とは違って観音扉が閉まっていた。扉は鉄の棒が左右に伸び南京錠がガッチリかかっていた。僕は南京錠をいじることも叶わないことから扉を一発ぶちまかしにかかった。観音扉はきしみ、まずいことに鉄の棒がひん曲がってしまった。ままよ、ともう一発。いけねーっ、と思いながらも止まらない。わっせ!わっせ!なんて調子になって力を抜いたぶち負かしを続けてしまった。

 外の物音で宿のおかみさんがきづいてくれればいいが、門の中はシーンとしている。僕はこれではダメだ、と相棒が待つバスターミナルに引き返した。
 相棒と戻ってきたが、僕はなすすべもなかった。相棒は宿のおかみさんが休んでいる家を探しに塀越しに見える隣家の方角に走っていった。10分もするうちにおかみさんが門のうち扉を開き観音扉がゆがんでいるのに気づき大声を挙げた。相棒が僕がわすれたパスポートを持っておばさんと一緒に外に出てきた。
 それからは鉄の棒の修復だ。相棒はその鉄の塊を棒にした鈍い鉄棒の感触を確かめながら石の上に置きその上から石でたたいた。僕は「すみません!」の一声も言えず合間に石の上に置いた鉄棒を靴底で踏みつけた。その繰り返しで不思議と鉄の棒はあめの棒のようにまっすぐに伸びた。

 相棒は観音扉に鉄棒を戻し、直ぐにおかみさんにお金を差し出した。おかみさんは要らないと首を振り「宿に忘れたものは必ず預かっておくのに」と非難した。僕も頭を下げる以外なすすべもなく見守った。

 ターミナルに戻る道すがら言葉をかけることも出来ない僕に中国語がわかる相棒はポツポツと語ってくれた。おかみさんを探すのに二軒ほど声をかけ探したこと。地元とのトラブルで公安警察に通報されなかっただけよかった。あの鉄の棒はといえば、鉄パイプになっていないだけもろく、異物が混ざったなまくら棒だ、と相棒は言った。
 長いムダな時間をかけてしまったことを僕は自分のふがいなさと共に悔いた。天山行は失敗を重ねる旅から始まった。