2010年10月10日日曜日

天山は草原の上にあり




 トンネルを抜けるとアルプ(牧草地)の緑の草原が視界に広がった。バスの後ろを振り向くと西方面には雪山が路肩の崖から遠く山嶺に伸びていた。さらに左に振り向くと、東から南方面は1000㍍高の山嶺に続く草原だ。駆け上がる羊の群れが一つ、二つ。バスの目の前には地響きを立て走る馬の群れ。蛇行しながら真近を駆け抜けバスを歓迎している。馬にまたがるハザクの遊牧民達が高見にたたずみ声を上げバスを待ちうけていた。

 この山嶺の植生は日本アルプスと全く違う。日本の山では針葉樹林帯と高山帯の境になる森林限界にはダケカンバやはい松があり、そこから岩と低木が山頂に続く。天山の高山帯は氷河の名残から森林限界の上はお花畑の草原帯だ。
その違いが相棒のいう「中国に来たかいがあった。これで捕まっても悔いはない」という言葉に表されていた。天山の北面は雨量が多く森林が視界に広がっていると思っていただけに、草原は意外だった。氷河の存在と緯度が高いという点を忘れていたのだ。その素晴らしい景観を見ることができたから、なにかしらつけが回ってくる。つまり、僕たちには今のところ検問に引っかからない幸運があるってことだった。

 羊と馬とアルプスの道を緩やかに下っていくと5㌔程先まで草原が続いた。バスは大草原の真ん中を走り、カルデラの底を走っている感じだ。この周囲は日本に飛来するハクチョウの自然保護地区のサンクチュアリ、バインブルクの湖があるという。(この翌年、家でTVを見ていたらハクチョウが天山から日本に飛来するというニュース性を売りに放映された番組で知ったことだった。だが、この番組で紹介されたバインブルクの湖は官制ムービーのがっかりするものだったから、天山山登りのお粗末なドキュメントと併せると僕らの見た世界は格段に説得力があるといわなければならない。)
 そして、路線バスがわだちがくっきり残る道を行くと緩いカーブの道端に人が立っていた。バスが止まり赤いほっぺのスカーフをかぶった婦人と男の子が乗ってきた。

 僕たちの前の席に二人は座った。その前に座っていたハザクの男性がさげすむように「モンゴル」とひとこと言った。僕は中国に来て初めて人種に関する中国人の感情表現を知った。遊牧民と定住民の貧しさの違い。自給自足社会と市場経済社会の富の違い、山の民とオアシスの民の違いをハザクの男性は日常生活の断面にみせてくれた。

 バスは草原を抜け針葉樹林帯をのぞむ高度まで下がってきた。陽は3時の方角でまだ高いが山影がおおう窪地にバスは乗り入れた。モレーン(氷河による堆積物で盛り上がった場所)の上に土色のレンガ造りの町が迫ってきた。ここがバインブルクのようだ。バスが止まったが窓越しに見える町は山影の中にさみしげだった。僕たちはバスの車掌さんに次の町まで乗っていくと告げた。運転手の若い助手さんは僕たちを乗せた時から外国人とわかっていた様子で、にんまりと了承してくれた。

 針葉樹林帯が山ひだをおおい、草原の中を点から面に広げながら植生の密度を高めていた。水の流れは支流を集めイリ川となって下流のオアシス都市であるイリの町を潤すが、ここでは山岳地帯の小川にすぎない。バスが下るほど夢見がちになる不思議な体験をした。幌馬車隊が川を渡り、牧童がサバイバルのカリキュラム教室に参加した生徒たちに声をかける。山麓の谷戸から谷戸に進む車輪のきしむ音が聞こえる。森林の牧草地の中を巡る幌馬車が勢いを増し、路線バスにとって代わった。バスは白いしぶきをあげる川をあとに緩やかな川沿いをまわり、道沿いの町、チャオ・マー・マーを通過した。