木を切り倒すことに慣れはない。伐倒のため樹間を見上げる。針葉の木に葉っぱがないのが数本。そ
こで直径15~20㎝の枯木を選び適当な高さに左右からノコで刻みを入れる。切り進むには「受け口」
と反対側に水平に切り込む『追い口」をきざむ。その左右が 平行になるように切り進んで、
最後に一定の幅を残す「ツル」 が中間に必要になる。ツルが支点になって受け口を閉じるよ
うにして思いの方角に枯木は倒れてくれる。
ところが、ツルという一定の幅を残す計算と実行を忘れると倒木は無残な残骸を残しひびが割れるこ
とも多い。 その一定の幅を残すとは一気に作業を終えてはいけないということになる。遊び、とか
余韻、弓道でいえば「残心」に当たる一呼吸を入れる間(ま)がないといけない。
実は、残心には顛末がある。身勝手な義母に怒りをこめてしかりつける自分が当時、あった。これ
ではまずいと考え弓道にある作法「残心」の良さを思いついた。その成果は絶大で間の大切さを体得
した。伐倒の作業で思い出したように残心が必要だった。それが遅かった、という落ちである。
ノコをつかうには技と力が必要だ。技は伐倒の回数が物をいうし慣れが補ってくれる。力は筋肉の
鍛錬とも関係する。筋肉は硬直し、脳にツルを意識する余裕を与えない。汗だくの伐倒だった。コ
ロナ禍第一期のこれが現実だった。
青木の森の敷地内は前回の寄っかかり倒木の本数もさほどなく、まずまずきれいに木は倒れてい
た。そんなことで秋本番前の作業は次の伐倒の数をカウントし黄色いテープで目印をつける作業に決
めた。その作業場は次に一本の枯れた落葉常緑のナラ科の枯木の切り倒しと重複した周囲の倒木の集
荷、そのための足元の古木の整理整頓が続く。占めて二つの作業場グループが出来上がり、時間はす
でに昼を過ぎていた。