2011年2月14日月曜日

デモと共にカランコロン


11月10日 アテネ
220㌦両替 270ドル

11月11日
10㌦両替 260㌦


(記憶遥か)
 工事現場のねぐらを後に、私は雪の止んだ早朝のアテネの町を歩きだした。小春日和の散歩のように、アテネのきれいで、落ち着いた街並みやウインドーごしを目をみはりながら歩いた。幅の広いフラットな歩道に町のつくりをみる気持ちのいい朝の散策だった。しばらくするとユースホテルを見つけた。ここまで来ると自分の昨日のねぐらが中心街の目の先だったことがわかった。アテネは静かな観光地だ、とかってに思ってしまった。


 実際はそうではなかった、そうではあるが、そうではない部分がわかってきた。ユースホテルの大部屋には日本人の若者が集まっていた。情報交換しているうちに日本人が狙われていることが分かった。ホテルのカウンターに預けたパスポートが日本人の分だけ盗まれていた。貧乏旅行者ではなくユーロパスをつかいながらヨーロッパを旅行する者が被害の大半だった。それは政治がらみで流用されているのではないかとか、日本の赤軍派がからんでいるとか、ギリシャの治安悪化にまで話がおよび深刻だった。


11月17日(金)
 1973年11月17日、民主化を要求し、アカデミー・スクール・ファイン・アートを占拠した学生に対し軍は戦車と機関銃をもって応え34名の学生が死んだ、という。今日、ファインアートの殺りく現場に飾られたバラの花輪には学生の死を悼む人々のメッセージが小雨の中にうかんでいた。人々は花をたむけ、ギリシャ音楽が流れアメリカ、軍政に抗議の意志を示している。デモの波は大学生といわず高校生たち若い世代や市民が続々とこの現場に集結していた。薄暗くなった夕方になってもそのデモの波は整然と続いていた。これがギリシャのアテネの一日だ。


 アテネの中心街を僕はチュニジアで買った木製のサンダルをつっかけ歩いていた。カランコロン。寒くなっても既に靴下は用無しで、北アフリカの旅以来、素足にバスケットシューズのいでたちが自分の旅のスタイルになっていた。それが履き心地のいい木製サンダルの気安さに慣れきってしまい、船のデッキでも声高にサンダルで歩きとおした。この日、中心街の散歩なのに格好も気にせず、デモ行進を支援するように石畳とコンクリートの道を木製サンダルの音を響かせながら時間をかけ歩いた。

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