2009年12月12日土曜日

北アフリカ急ぎ旅 アルジェリア 夜行列車・寝ぼけてサイフをトイレに落とした事件




10月23日 チュニジア
42ドル換金  1050ドル

10月25日
10ドル換金  1040ドル

10月27日 アルジェリア
 (車中) 840ドル(チェック)紛失
      計200ドル
アルジェ
20ドル換金   180ドル

10月29日
20ドル換金   160ドル

10月30日 チュニジア
20ドル換金   140ドル

10月31日
60ドル換金   80ドル

11月2日 イタリア
11月3日 (船中)
20ドル換金   60ドルと3万円
11月5日  ローマ
11月6日
ニューヨークシティーバンクローマ支店で
500ドル(チェック)を回収 計560ドル
(記憶遥か)
 「夜中にトイレに行きたくなって、後ろの車両のトイレに入りました。腹の具合がよくなかったもんで、しゃがんで一息ついて立ち上がろうとして、ねぼけて二つ折りの腹巻の中を探ったところポロンッ、とチェックの冊がはみ出て落ちてしまったんです(笑い)トイレの穴の下は鉄道の線路がビュン、ビュン飛んでいるのが見えてふたがない。うんこもチェックもストレートに落下し一瞬です、ピューン、です。(大笑い)

それで、なにが起こったんだろう、と一瞬考えてヘラヘラッ、となって(笑い)「これは現実なんだ」と気持ちが切り替わってすぐに車掌さんを呼びに行ったんです(笑い)車掌さんは僕がトイレにお金が落下してなくなってしまった、と簡単にパントマイムで伝えるとわかってくれたようで、仲間の車掌さんを呼びに行ったり。でも、どうしようもないのがわかっていて、首をがっくりおとしてくれて。(笑い) 」


署長は時々、参集の警察官と一緒に笑ったり、くすくすと肩をゆすったりしていたが、よい反応があったようだ。20坪ほどのレンガ造りの建物の中は何もないだだっ広い大広間で、嬉々として私の「わけ」を知りたくて警察官が続々と部屋に集まって私のパフォーマンスを見ていた。

その警察官達が、納得したように引いていく。そのタイミングにあわせ所長はタイプを持ってくるように指示し、仕事部屋から大広間に移した木のデスクに向かい思案しだした。私は手元にあったパーカーの大事にしていたボールペンを署長に渡し、シティーバンクに送るトラベラーズチェックの紛失証明書の作成を改めてお願いした。

 一時間ほどでフランス語の証明書が出来上がった。アルジェ駅に近い警察署だったためこの種の話には慣れているようで、待っている間の私と平警察官の会話は「アルジェリアについて」のお定まりのお国自慢だった。私が伝えたのは、「アルジェの戦い」の映画の話で、夜行列車の事故後応援に駆けつけた車掌さんと同じように警察官もタタタッ、タタタッ、と機関銃を構えるスタイルに夢中になっていた。

朝っぱらからの余興に続いて今日は急がなくてはならない。つぎは日本大使館だ。大使館に聞くことはアルジェのN社の住所と電話番号そしてフランス語の速達というスペルを紙に書いてもらうことだった。速達便でニューヨークのシティーバンク本社事故係に送る手紙が厄介な内容になる。大使館に着いて日本人の男性スタッフに事の顛末を伝え自分を落ち着かせた。そして、スペルの件を頼んだ。そのスタッフは皮肉交じりに英文の依頼状は書けるのかい、といって席をはずした。

しばらくしてアルジェリア人スタッフに代わった。彼はあえて時間をとってくれ別室でN社のメモをくれた。椅子を対面に置いてスーツ、ネクタイ姿のピシッとしたエリート係官の質問に答えた。事の顛末より彼は今日の泊まり場所は決まったのか、と親身になってくれそうな姿勢を見せた。私はガイドブック通りの安宿を提案した。「こうなったらバスに泊まるしかないでしょう」とたわしで体をこするまねをした。彼は笑い出した。それが風呂屋に泊まることを意味することから、納得したようでそれからは彼と打解けて話し合い大使館を後にした。

次の日、アルジェの中央郵便局に行った。イタリアのローマでチェックを受け取りたいと手紙をその場で英文でしたため,紛失証明書を同封して速達でニューヨークのシティーバンクに送った。それからは、N社の連絡だ。私が局内の電話の前で落ち着かない様子なのを見ていた現地の若い女性達が見かねて助けてくれた。その三人が変わりばんこでN社アルジェ事務所に電話してくれた。ちょうど昼休み中で日本人スタッフは不在だった。夕方まで待つことになった。

N社は大きな繁華街にあった。エライさん二人にまず自分がどこの誰であるかを伝え、信じてもらうことから始まった。日本への確認は24時間後、テレックスによる連絡待ちになる。そしてタカシちゃんは帰国中だということを知った。

夕暮れの時間になっていた。私はエライさんや若い日本人スタッフに促され車に乗った。どうやら食事に誘われたようだった。突然の闖入者であることからも車が止まってレストランに着いたことを悟って降車したとたん辞退したいと告げ、礼をいいその場で失礼することにした。厚意に甘えることがとっさの判断だったが、受けることが出来なかった。

翌朝、事務所を再訪し、総務セクションのエライさんに「今日、ローマに行きます」と告げ私は再びアルジェ駅からチュニジア行きの列車に飛び乗った。

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