2009年11月28日土曜日

北アフリカ急ぎ旅 リビア チュニジア国境、申告所持金額 虚偽疑いの顛末




10月21日リビア

10月23日 トリポリ
20ドル換金 1092ドル

(記憶遥か)
 パスポートと出国の書類を審査していた係官が申告書類を凝視し、私に声をかけた。フランス語なのでこちらは軽く相槌を打つぐらいの反応しか出来ない。職務上凛々しいが、小柄な係官は、側の係官に一言、二言いい、カウンターから部屋に入るように私を手招きし、次に登山ザックを調べ始めた。昼過ぎにしては出国する人がまばらで、大部屋のような、外とついたてひとつないだだっ広い空間でその係官にこ一時間調べを受けることになった。

 係官は、申告書類に私がトリポリで両替した時伝えた20ドルが問題だ、と書類を指差し問いただした。そして、有り金すべてを出せと命令した。私は、サイフから始まって、小銭入れ、チェック一冊、別サイフのドルとベルトをはずして裏側にジップでしまった隠れサイフの日本円すべてを提出した。係官はその私にとって命の綱になる大金をポイッと机の上に放り投げた。

 係官が席をはずした。誰もいないのを幸いに「お金の大切さを知らんのか!」という気持ちから私は放り投げた大金を懐にすべて回収した。戻ってきた係官は机の上のドル紙幣、トラベラーズチェック、日本円、小銭が消えているのに気づき、あわてて私を問い詰め、顔色を変え完全に取り調べ官に変身した。

 係官はすぐに、全額返せ!と叫び、身体検査をする体勢に入り私を立たせ、上半身、下半身をタッチし、体の前後にわたり調べ始めた。つぎに登山ザックのなかを再度入念に調べ始めた係官は、おもむろに本を取り上げページをパラパラとめくりだした。「サダトだな、こいつは!」係官は邦彦兄にもらった詩集を指差した。サダトはエジプトのサダト大統領のことで、隣国のエジプトとリビアは仲が悪かった。サダト大統領の載っている本を携帯する旅行者はろくでもないヤツ、といいたいわけだ。「違う。その本は詩集で、その人は島崎藤村という詩人だ」とうんざりした感情をこめて私は伝えた。係官は「じゃ、この金は何だ」といいたげに大金をつきつけた。

 私を見つめる係官は、自分の意思が通じていないと思ったのだろう、吹き抜けの建物の外を通り過ぎる普段着を着た子供ずれの人に声をかけ、再び座をはずした。

 その二日前の夕刻、私はエジプトーリビア国境を越えた。既に銀行が閉まっていて両替が出来ない。メイン道路はそれこそ地中海に沿って一本道で、通る車も多くわかりやすい。イスタンブールで聞いていた「リビアはタクシーがヒッチハイクで乗れる」話に期待しながら人家が消えた荒野の道を私は歩き始めた。
そのとおりのヒッチハイカーになった。直ぐに車が100㍍先に止まった。イタリア車のタクシーは相乗りで既に男が四人乗っていた。後ろ席に乗せてくれたドライバーは、無言だがにこやかに話しかけ、私がかってにトリポリといったことに手を上げて応え車を走らせた。相乗り客に合わせシートベルトを締めた。車の安定のよさ、早いこと、外は何も見えない荒野の暗闇をひたすら西に向け高級タクシーはスピードをあげた。

 途中、一度軽食をとるためタクシーは食堂で止まった。相乗りの乗客にはパレスチナ人の若者がいた。赤と白のチェックのパレスチナの伝統的スカーフ、カフィイェーをかぶったその若者が食後、目の前に現れたので一瞬、戸惑った。食事の料金は闇で交換した50ディナールで間に合ってほっとした。その心を察したように乗客は、ただ私をみつめ、金を払うのを確かめるようにまどろんだ時間の余興を楽しんでいた。

 眠れたという余裕を感じないまま早朝、首都・トリポリに車は着いた。タクシー乗り場なのだろう、分厚い胸のそのドライバーに畏敬をこめたように人が集まった。私はヒッチハイクの恩恵をありがたく頂戴した。直ぐに銀行に向かった。銀行の窓口で申告書類の提出窓口を指示され、私はドルの交換を申告した。
そのとき思考が飛んでいた。まず所持金を申告し、ドルをリビア通貨に交換する順序を忘れていた。

 


 そのことを思い出したとき、係官が声をかけた人が、出国ゲートの順番待ちの時見かけた人だったことに気がついた。係官の上司だったのだ。たまたま今日は非番で、娘さんを連れて事務所に立ち寄った風だった。

 ラフな半そでシャツのその上司は、私にアラビア語で問いただした。日本人が出国の際、持ち出していいお金は1500ドルだが、私の場合は、それから日本で支払った横浜からトルコ・カルスまでのインツーリストに支払った額を差し引いた金額だった。しかし、それではすくなくとも一年間の旅費は賄えない。いつ帰るか予定を告げられない私を心配して父がドル紙幣を餞別にくれた。

 私は、娘さんと一緒に事務所にやってきたその上司の寛大さに賭けた。「父が、私の長旅を心配して多くのお金をくれたのだ」と繰り返し英語で伝えた。熱意を込めての演技に上司は応えてくれ、私はようやく放免になった。

 若い係官も納得したようでようやくリビアを出国した。ところが、混雑しているチュニジアの入国管理事務所で長く順番待ちし、ようやく審査のときを迎えたとき、あのリビアの係官がチュニジアの係官と楽しげに話しこんでいるのに私は気がついた。その係官もにこやかに私に声をかけてきた。私は「ここはチュニジアであってリビアではない」と、真顔で繰り返した。チュニジアとリビアは統合を検討した程、蜜月の関係だったのを後で知った。
(2009.11)

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