2009年10月11日日曜日

不可解な国ヨルダン




10月2日 陸路ヨルダン、アンマン着

10月3日
70ドル換金 1272ドル

10月4日
ヨルダンに来てから調子がよくない。下痢と疲労で歩いているとフラフラする。気が緩んでいるようだ。10日にエジプトへ向かう。フライトに65ドルほどの金がかかった。それも仕方がない。年齢で料金設定が違うという。ステューデント・カードはまがい物扱いかもしれない。あてにならない。

ヨルダンはシリアに比べ落ち着いている。長男と三男坊ぐらい。王政と社会主義政党の違いというか、金持ち国と貧乏国の違い・・いや、いやどこも発展途上の国だ。

10月6日 ジェラシエ
10月7日 ペトラ  それぞれ日帰りの旅。

10月8日 10ドル換金 1262ドル

10月10日50ドル換金 1212ドル
エジプトへ

(記憶遥か)
 あのロレンスで惹きつけたアカバにむかうヨルダンの南北縦断路。その国道16号線のT字路から西にペトラ遺跡まで20キロあまりかかる。行きは旅行者を観察してツーリング先を思案するインテリ・タクシードライバーの力で観光慣れしていないベドウィンテントに招かれチャイ(紅茶)をご馳走になり、その寄り道で時間がなくなりエル・カズネ(宝物殿)の観光見物は正面前でお預けになった。帰りは急速に迫る夕闇に追われながら、ようやくT字路に戻り私には高額の交通費を払う始末の悪い一日を過ごしてしまった。

 さて、このT字路は基点ではあるが岩ばかりで何もない。帰りのバスがない。仕方がないのでヒッチハイクすることにした。闇が迫る中の始めてのヒッチハイク。アンマンに向かうメインの道路だけに走行車数は結構多い。ありがたいことにしばらくすると乗用車が50メートル先に止まった。なにせ、由に100キロを超えるスピードで車が走っていく。

 20代の男性ドライバーの親切で車の後席に乗る幸運に恵まれた。ところが、前がめちゃくちゃ。フロントガラスがひび割れ拳骨大の穴が開いている。彼は強引に左足でフロントのひび割れ部を蹴飛ばした。ガラスが粉々になりピューピュー風を受けながら、一路アンマンに向かった。これ、すべて運転しながらの超人ぶりにあきれそして確信した。路傍の砂塵に負けない当たり前の振る舞いだということを。

 アンマンの街中でお礼をいいホテルに戻った。するとホテルのフロントマネジャーが「明朝、出てってくれ」という。飛行機のキャンセルまがいの料金吊り上げといい、ホテルマンの拒否と続いた。日本の赤軍派の活動がシビアにヨルダンの公安を動かしたのだろうか。不可解な国だ、ヨルダンは。

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