2009年10月3日土曜日

シリア ダマスカス, フセインはどこのフセイン?


10月1日 シリア ダマスカス
50ドル換金 1382ドル

 ダマスカスは喧騒。お隣のイスラエルとはドンドン、パチパチ。昨夜の高射砲の音はすごかった。今まで聴いたことのない音響。響いている。すさまじい。でも、夜の静寂下の大音響に比べ朝からにぎやかな首都の活気が対照的。商売が始まり、終わってからの暗闇は戦争の構え。異常が正常と感じるその典型が戦争下の国の現実だ。


 ホテルは一階の天井が高く、建物そのものがコンクリートのがっしりしたたたずまい。   ロビーのカウンターで「おはようございます」と英語で今日の宿泊の予約をする。カウンター周りには定宿の泊り客が気安く集っていた。僕を日本人と見て皆、愛想がいい。一人がアラビア語でおはようございます、といった。するとその周りから僕に向かってにこやかに「おはようございます」。僕もそのぐらいしゃべらなくては、と大きな声で真似る。「サバーフヘール」。


一人が違うというように正確なアラブの発音で繰り返す。サバは跳ねるようにサバ。フは小さく、火を吹き消すように短くフ。ヘールはハイヒールではなく、巻き舌でへールルル・・という風に。三、四回繰り返し「サバーフヘール」は合格。
翌朝、同じ常連客がまた、受付カウンターでたむろしていた。僕はアラビア語で「サバーフヘール」。すると連中はビックリしたように一斉に「サバーフヘール」と応えベラベラ、ベラベラしゃべりだした。


 なんとなく仲良くなったような・・そのうちまじめそうなビジネスマン風のシリア人らしき20代のがっちりした180センチ男が、今日の予定を僕に尋ね、観光見物に付き合ってくれると英語で言った。ありがたいのでお礼をいうと、近くの名跡につれてってくれることになった。


 彼に連れられ行ったのはウマイヤド・モスクだった。ガイドブック通りのコースに乗った名跡。彼はイラク人だった。寺院に入ると盛んに話しかけてきた。よくわからない解説より、時々気になる言葉に耳を慣らした。アラブでは結婚するのに金がかかり、一夫多妻で・・フセインの話に入ると、暗殺の話や歴史的なうんちくをベラベラとしゃべるのでまったくわからない。王であるとか何とか。
 そのうち僕の知っているフセインは(イラクのサダム・フセインであってこのモスクにゆかりのあるフセインの話なのかどうか・・アアそうだ!僕の知っているフセインはトルコのカルタルで世話になったフセイン・オズトップなんだよ!)といいたくなった。そのフセインはカルタルでもあの人、この人がフセインであって、わけがわからなかったので、そのイラク人のいう輪をかけたフセインがさらにわからなくなった。


 彼は僕の体に近すぎの距離でしゃべっていた。そのうち下げていた僕の手の平を握ってきた。なんとなく、いやな感じだなァと思っていたのでその手を抜いて、僕は背筋を伸ばし両腕を胸に組み上を見ながらウン、ウンとゆっくり彼の言っていたことがわかっていたようにうなずきながら・・・ゆっくりモスクの観光コースに紛れ込んだ。


 この彼の怪しい行為に僕が態度を変えたことで、彼はそれ以後あまりしゃべらなくなり、ホテルに戻ってから会うことはなかった。
それ以来、イラク人はというと(記憶遥か)・・・べっとり汗をかいた分厚い手の平を思い出す。(200910)

 午後からエジプト大使館にビザをもらいに行った。青年海外協力隊の男性隊員にあった。シリアで一年半、器械体操を教えているという。すっかり地元になじんだその顔つき。毎日いかに食い、住み、進むかを仕事にする旅行者にはまぶしい、うらやましいと思った。
戒めは、腹を冷やさないこと、生水を飲まないこと。

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