2008年11月15日土曜日

アイリーン、君に会いたい!




夕方から大森7中3年J組の同窓会がある。杉崎先生御存命依頼だから10年以上後無沙汰だった。眞三郎・父が無くなって、京都・大谷廟の骨壷団地で坊さんが「あえて言えば、墓前に兄姉が一緒にいる。順番でよかったのでは・・」と生命あるもののありがたさを語ってくれた。


今日は顔も忘れ、名前も出てこない友の今を知る。「みんな好く集まったね」といえるだけ幸せだ。

では、1975年の青春 その3

(記憶遥か)
ガイドのアイリーンと朝のタシケントツアー。朝からすでに気温は30度を軽く超えている。からっとしている。望んだ気候がこれだった。実感はただ暑い。強烈な暑さがこれから始まる。  
しかも、睡眠不足と時差ぼけでホテルを一歩出たものの、旅行気分がわいてこない。アイリーンに散歩したいとつたえる。しばらく無言で歩いて、コースに乗ることにする。ツアー客にはタクシーが用意してある。

乗ったとたん、どこに行くか,では、朝のバザールへ。新鮮かつ虫食いのリンゴを買う。 三つぶん。もちろん一つは世話になる運転手に。待たせてしまった車に乗りこむ。アイリーンが運転手にリンゴを渡す。運転手は猛烈に怒る。アイリーンも応酬する。
               
観光ツアーも終わりに近づいた。通りを挟んでタクシーが待機している。走っている車の台数は少ない。だが、緩やかな坂道の下り勾配のため坂上から車がスピードをあげて下ってくる。渡るタイミングを計りかねていた。どうしたものか、慣れない異国とはこういうことなのか。アイリーンは感じたのだろう。突然、私の手の平を握って・・つられて私は駆け出した。
アイリーン!君は誰にでもそうするの?そのときの自分はそんなに頼りなげだったの?(2002.1)               

9月2日
トビリシは、中世、近世、そして記憶に残るヨーロッパの名画、映像の姿、形がダブル。赤いレンガに均等なゴシック調の建物。町を歩く人々は色彩館の中を佇む、トルクメンの町、カラフルな色の洪水。ロシア、ソビエトの色ではない。

トルコ第一のイスタンブールに行けば、トビリシ、グルジアがどんな町、国だったかを思い出すだろう。国境を挟んで、グルジア、トビリシは印象的だが大トルコの遠い昔のような感じがする。通過国であるグルジア。
グルジアの青年と石鹸を交換する。物がない、刺激がほしい。資本主義の国の商品はいい香り、滑り感が違う、という一瞬の満足感が楽しい、と。ロシア人は好きではない、グルジアはトルコであるはずだ、と。ソビエト社会主義共和国連邦。共産主義ソ連ではない。

トビリシを蒸気機関の列車発午前5時38分。午後1時ボーダー発、トルコのアクヤカに着く。国境の非武装地帯の寒々とした風景、女性官のチェックは厳しい。残ったソ連幣価は没収。トルコ側は軽くパス。麦わら帽のシルクロードとシルバーロードの落書きに、愛想笑いの係官。
アクヤカは辺境の寒村。列車に乗りこんできた子どもが、金をせびりにせまってきた。ポーランドの男女三人が同じ車両の旅行者と判る。トルコの最奥地の洗礼。午後5時カルス着。1ドル使う。

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