2010年11月30日火曜日

馬乳酒はもてなしの心











(来るな!来るな!)
 僕は小さくなって声をころした。来てもらっては困る人がバスに乗ってきた。検問だ。一人の係官がバスの後列にきた。チラッ,チラッと乗客を見回し、最後列の僕たちに目を向けるとサッと手を半身にあげ、僕と相棒に来るようにと合図をおくった。僕らはあたりまえのように無言で下車にかかった。その率直な反応は来るものが来たという覚悟をきめていたからだった。

これより前、路傍の町であるチャオ・マー・マーを通過してから僕は急いで名刺を処分することにした。ジャーナリストの身分がわかると面倒だ、という杞憂からはじまったことだった。名刺入れのなかに残っていた名刺をすべて細切れにして花吹雪のようにバスから後方に放り投げた。それこそほこりに舞う白い紙の乱舞に賭け、僕はようやくホッ、とすることができた。ところが、バスの前に目を向けると運転手の若い助手さんがニヤッと微笑んでいた。知ってか知らずか僕らをよくみているのだった。

 緊張をかみしめながら、僕たちは係官を先頭に検問所のいかついコンクリートの事務所に入った。部屋に入ると僕たちはパスポートを次席の係官に渡した。僕はあぜんとしながら所長らしき係官の大きな、はきはきとした声を聴きながら彼の動作を見つめていた。目の前の所長らしき係官は体格と顔つきからみてハザク人らしかった。所長はパスポートをいじりながら中国語で話しかけてきた。相棒がひとこと答えた。話しが分かってきた様子で、所長は書類に記帳し僕らにパスポートを返してくれた。あっけない程淡々とした事態に僕は拍子抜けしてしまった。結果的に開放都市間の移動はその間に山があろうと正当性はあたっていたのだった。

その数分間の時間、事務所の蛍光灯の白光色はまぶしく、それが外に出るといつのまにか夕日をあびた空が真っ赤に染まっていた。事務所の外には路傍につないだ馬が二頭、鞍をかけた馬のそばにいる牧夫二人が山野から帰ってきたほこりまみれな体で僕ら二人を待ち受け、その一人の若い牧夫が茶碗の飲み物を飲むように勧めてきた。

欠けた陶器の茶碗にはなみなみと注いだ乳白色の液体が盛られていた。勧められた僕たちはそれを一気に飲みほした。ぼくは、それが酸っぱいヨーグルトの味がする馬乳酒(クミーズ)だとさとった。

それからしばらくして、ハザクの警察官が二人乗りのサイドカー付きのオートバイで乗り付け、僕らはサイドカーに便乗することになった。オートバイは闇夜のなかを一時間ほどかかった夜9時過ぎ、新源の招待所に到着した。

僕と相棒はその後、イリ(伊寧)経由でウルムチに戻り次に列車とバスを乗り継ぎトルファン、敦煌に行き、青海省のゴルムド(格爾木)まで挫折なく旅を続けた。青海省の省都である高地・西寧からようやく北京に戻る最後の旅の車中、僕は一冊の旅行記を読み終えた。硬座寝台車の三階に寝ていた相棒に僕は声をかけた。「中国西域の少数民族と漢族の関係は16世紀とほとんど変わっていない。漢族は当時も嫌われていたんだ!」。

そしてロシアの探検家であるプルジェワルスキーの「黄河流域からロプ湖へ」(世界探検全集、河出書房新社)を閉じた僕は相棒に付け加えるように言った。「あの馬乳酒は遠来の客を歓待し、もてなす親愛の情をあらわしているんだ」。僕たちの長旅はようやく終わった。(完)

(冒頭の写真は国境の町、伊寧にて)


















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