2009年6月21日日曜日

イスタンブール 私文書偽造作戦




9月7日
 トプカピ宮殿、財宝の館。トルコ政府の財産である。イスタンブールの街を歩きトルコという国の歴史、重みを感じてくるに従って、トプカピ宮殿とは不釣合いのような気がしてきた。遥か昔のコンスタンチノーブル、今のイスタンブールの自由港の雰囲気を持つ開放感も歴史の重みを観光に依存することの違和感を感じることと同じく僕には、なじめないものだった。

 宿舎の日本人が多くなってきた。だんだん宿とイスタンブールの街を行き来する日常に疲れてきた。早くも気力がなくなってきた。風邪を引いたようだ。少し気を引き締めよう。

9月8日50ドル換金
計1441ドル

(記憶遥か)
 イスタンブール(イスタン)はこの旅の出発点であり、拠点と私は旅行前からふんでいた。ここから日本に行く。それは日本に帰るわけで、味気ない旅のひとつの選択肢だった。

 そうではないようにしたかった。とりあえず、ここを拠点に西・南・北へ旅立ち、再びイスタンに戻ってくる。そうでありたいと思った。それが折り返し点であるイスタンの私の立ち居地だった。

 イスタンに着いてから、観光見物に出かける生活のリズムと同じくヨーロッパへ、アジアへ行くにあたってその方法論を頭の隅においていた。 持参のガイドブックに頼り、日本人の貧乏旅行者=バックパッカーとの情報交換から得た一つのテーマだった。

 私は国際学生証明書、ステューデントカードの取得にかかった。ヨーロッパに行くと鉄道のユーロパスが便利だと旅行者から聞いていた。割安の飛行機券を手に入れるにはカードが有効という話だ。とりあえずバンコク発日本着の飛行機券を持っていたかった。帰りのキップがあれば気が楽になるという、慎重派が当時の私を占めていた。帰りたくなったら帰ったらいい、という安心感が欲しかったんだと思う。

 イスタンに到着後慣れるまでガイドブック通りの安宿に泊まっていた。ホテルのロビーから階段に上ろうとしたとき、学生風の日本人旅行者に出会い、カードの話をした。彼はすでにイスタンにはなじんでいたよう様子で、まず学生でないものが学生になる。偽の学生証を作ることをおしえてくれた。

 彼が持ってきたのは、日本から持参したお茶漬けの袋だった。中には永谷園のお茶づけのふりかけの名刺大の説明書。薄いコート紙に印刷した本文と裏は広重の浮世絵が描いてある日本情緒の一品だった。私と彼の言い分は「日本語なら大丈夫、トルコ人にわかりはしない」。さっそく意気投合して身分証明書の偽造に取り掛かった。

 国際学生証明書の取得は簡単だった。持参の書類も軽く目を通しただけで証明書を発行してくれた。かなりいいかげん。ステューデントカードの信頼性に自分でも疑問が生じるほどだった。それをもってガイドブックご指名の旅行社に行った。

 カードの効力はやはりなかった。トルコ人のその窓口の男性はカードではなく、偽造の日本語の学生証と私をチラッと見て「日本の学生であることを証明する書類が必要だ」とニヤッと笑いながら言った。日本領事館に行ってお墨付きをもらって来い!だって。 万事休すになった。ホテルに戻って日本人の彼と成果のない成果を笑いながら話し合った。結論は旅行社が悪い、次を探そうということになった。(2009.6)

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