2013年3月27日水曜日

イギリス婦人のヒマラヤ




223

(記憶遥か)

Taramarangに到着した時、初老のヨーロッパ系の婦人とまだ10代の若いシェルパが休息していた。婦人ははきはきとした英語をしゃべり、シェルパは寡黙に応えていた。

ヘランブトレックの最終の帰路は午後の陽をあびた土手道の時間。空を仰ぎながら歩くトレッカーの一挙手一投足に魅かれ、ポーターのシェルパの若者と同じように、わたしは歩くペースを等間隔に合わせてしまった。

 イギリス婦人はウエストを絞ったブルーの柄物ワンピースを着て、カメラひとつをぶら下げていた。杖を突き、ズックを大地に乗せるようにとぼとぼと歩き、一定のリズムで後ろを振り返る。そして前を見上げ、自然を楽しむように歩いていた。

 イギリス婦人は何か思いを探すように、若い日の思い出のヘランブトレックをみつけようとしているようだった。旦那さんとの若き二人の青春を確かめるように、自分の時間を楽しんでいるようでもある。

 わたしががそばにいって声をかけるときれいなブリティッシュでこたえるかもしれない。いや、土手道の草花に目を移し、通り過ぎる人など気にもかけないだろう。ただ、彼女は輝く雪山のヘランブを忘れないように立ち止まりそしてまた、振り返る。

 

2013年3月20日水曜日

僕のネパールの碧い空


215日 カトマンズ 210㌦チェックと7㌦キャッシュ

218日 Pati Bhanjyang

219日 Taramarang

220日 Tarke Ggyang

222日 Taramarang

223日 カトマンズ

 

ヘランブ トレック 

218日  
7時すぎのミニバスでカトマンズからBoudhnath Stupaへ。このショートトレックはエベレストトレックの前哨戦。一週間カトマンズで休養をとったので体ならしの山歩きだ。黒沢君が西のポカラのトレックに出かけたので単独行になる。カトマンズの北のヘランブは楽だろうとふんで出発した。

 BoudhnathからSundarijalへ歩きがはじまる。今日は快晴。Khasrubasまで村の石段道が続く。後ろを振り返るとカトマンズの町が朝もやの中に見える。時々飛行機が旋回している。Borlang Bhanjyangまで登りの連続で苦しい。5人のポーターを加えたヨーロッパの登山家とあいさつをかわす。

 午後の1時過ぎ、村の食堂のばあさんに食事を頼む。チャパティ4枚、卵焼き計10ルピー。日本人と見るとすぐぼるので2ルピーをあげる。しつこく要求するため50パイサ追加するだけ。これ以上は払わない。

山を見わたすと雪をかぶったゴサインクンドが見える。奥の高山には雲がかかっている。春のような景色の色合いはヘランブにきていると感じる。

ここからが下りコース。Pati Bhanjyangに4時前着。それにしても道中行きかうシェルパはほとんどが裸足だ。女性は服装が鮮やかで柄行が派手。耳、鼻、首等の装飾具はアフガニスタン以来の飾りようで、陽に焼けた肌にピッタリの美しさ。アーリア系、モンゴル系の女性は穏やかにフワッと感じる風土に合った美しさというか。

でも、裸足のおじさん、おばさんは足が曲がっている人が見受けられる。女の人の中には足が腫れている。ネパールの医療は事態が深刻な状態なんだと感じる。カトマンズの協力隊の看護師さんが推薦した「ネパールの碧い空」(岩村昇著)を読んでみよう。
 

2月19日(木)
Pati Bhanjyangは峠の茶屋の集落。早朝出発したかったが、おばさんが家族の食事の支度にとまどって9時過ぎになってしまった。次の集落まで下りが続く。シェルパは足の速いこと。堆肥をかついで河原までひとっ走り。1時半、Taramarang到着。

山はみなカオが違う。幅20-30㍍の川筋を歩いているときは長野の姫川の河原にいるような錯覚を覚えた。Pati Bhanjyangでは家の近くの小川に堰があり山桜が咲き、竹が茂って奥多摩に来た感じだ。そんなところにサボテンがあると日中の日射の強さと夜の寒さからくるネパールの植生を知ることになる。今日も快晴。明日は朝早く起きて終着のTarke Ghyang12時間かかっても行きたい。

220
Taramarang6時発。川に降りてつり橋を渡る。ちょうど陽が昇ってきた。ゴサインクンド方面の雪をかぶった山々が現れてくる。Timbu Villageまで難なく進む。まだ10時前なので一気に進む。Kakaniまではかなりの登り。昼食は5ルピー。かなりとられてがっかりだ。

 Tarke Ggyangが目の前。最後の急坂を登りきるとゴンパと雪山がきれいに見える。村の美しい女性にあいさつをおくる。子どもたちはかわいい。男は畑仕事。ラマはひなたぼっこしている。

 今日は休日。ゆっくりTarke Ghyangで休むことにする。宿ではビーズやコインを使った装飾品の魅力に誘われる。でも、よくみるとちゃちにできている。お金が欲しいため法外な値をつけ売り込みをかけてきた。天気はいいし雲一つない山を見るだけで時間が過ぎていく。

 222
トレック2日目と同じTaramarang泊まり。朝方の冷え込みで目が覚めた。でも、とろんと寝込んで・・日活ロマンポルノの女優・片桐夕子がにこやかに佇んでいる。女優がもう二人。梢ひとみと・・わからない!平凡パンチのグラビア写真が迫ってきた!これから先は語れません!!・・夢の中で溺れ漏らしてしまった。

(記憶遥か)
その2日前のTaramarang。夢の引き金は悩ましい。宿で外のベランダを覗いたら髪の長い半身裸の男性のヒッピーらしい西洋人が脱いだ服をシュラフから放りだしていた。そのシュラフからこんどは若い女の子が裸を隠すようにして男性に抱きつきながら顔を出し、ニヤついている。そして二人は大きなシュラフにもぐりこんだ。

 

2013年3月3日日曜日

スポンジケーキは妙である!?



2月9日 カトマンズ ストーンハウス4.2ルピー

210日 黒沢君と合流

211日 210

 (記憶遥か)
ネパールに行ったらケーキを食べに行こう、がガイドブック持参の日本人ツアーの合言葉のようになっていた。そのカトマンズのケーキショップのうわさは国際的で、各国の若者が足を運んでいた。

一日遅れでホテルに到着した黒沢くんとさっそくケーキショップに出かけた。そのスポンジケーキは草色で甘いものは久しぶりでもありおおいに食った。

 ところがホテルに戻ってきて玄関先に着いたら二人とも「なんか?眠たくなってきたなァ」と話しが合ってしまった。わたしは部屋に入るやいなやたまらなくなり寝付いてしまった。目を覚ましたら、黒沢君もちょうど起きだした。カーテンをあけたら夕方のようだった。信じられなかった。24時間以上寝ていたのだ。二人とも「すごい睡眠薬だなァ」と感心してしまった。

 そのケーキには後遺症がついてまわった。父からの手紙を受け取りに日本領事館に行った時には、ホテルに帰り着くまでまだ夕方だというのに目が重くて開けていられなかった。黒沢君はブッタガヤの長期滞在が格別だったようだが、心はトレッカーに既に切り替わっていた。せっかくだからポカラ方面を見たい、といってトレーニングがてら出かけた。

 わたしは体調が悪いのでヒマラヤトレッキングに行けるだろうか心配になった。兆候はインドの道中にもあった。ボンベイ発ヴァラナシ行きの夜行列車の時、インド人と相席だったが、気がついたら45人座れるその長椅子にひっくり返って寝ていた。座って寝られない。もう眠たくて、眠たくて寝さして欲しいとばかり、子ども連れのインド婦人の好意に甘え爆睡してしまった。体が弱くなり、ネパールに着いたら ついに栄養失調気味が表面化したようだった。